故・小川直久プロを偲ぶ

故・小川直久プロを偲ぶ

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小川直久プロが急逝した。自らがんを告白して闘病をしていたのは知っていたけど、こんなに早く逝かなくても……。5月23日、51歳の誕生日の2日後。あまりにも若すぎる。小川家とは兄弟、家族ぐるみでなんか縁があって、同時多発テロの時も奥さんと娘さんと一緒にハンティントンでスタックしたり、早くから海外で戦っていたので、いろいろな旅先で一緒になったりした。
1995年JPSA グランドチャンピオン、2001年パイプラインマスターズのインビテーショナルイベントではWSLの前身であるASPで日本人初の10点満点を出し、2本目も9.80と会場を沸かせた。その日のことはとてもよく覚えている。前日がドリアンの結婚式でビッグアイランド、朝一の飛行機でオアフに戻ってパイプに直行というハードスケジュールだった。このインビテーショナルイベントは本当に超豪華メンバーで、パイプといえば……という人が勢ぞろいのドリームイベントだった。キャロル、オッキー、ケリー、ロブ、アンディ……日本人ではナオと脇田貴之が招待されていた。ナオのヒートは夕方、波が上がってきていて時折アウトからお化けセットがブレイク、それをうまくとらえてのバレルメイクだった。ビーチ大興奮。

ナオというと、なんかいつも一所懸命で、ピュアで、ポジティブで、勝っても負けても、ナオちゃん頑張りますっ、みたいな印象しかない。内面の葛藤とか苦悩とかを表に出さないって、さぞかし大変だったろうと思う。
有言実行の生涯現役、そういう意味ではやりぬいたといえるかもしれない。まぁ、私も近いうちにそっち行くから、もう少し待っててね、と伝えたい。

心からご冥福をお祈りするとともに、ご家族、ご親族の皆様には、思いがけないことでお力落としでしょうが、お身体ご自愛くださるよう、お願いいたします。

写真と共にエピソードなどは以下から。

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