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ケリーV10

ケリーV10、予定通り。すごいな、とにかく。 何しろ最低でも10年かかる記録ってさ、10年ってすごくね? しかも38歳。それだけでおじさん、ご立派。しかも、その試合プエルトリコのリップカールプロサーチ優勝。10点満点出しのトータル18.77のファイナル。 2位は子供が生まれたばかりのビード・ダービッジ。お父さんパワー全開。3位にタジ、ミシェル・ボレーズ。 ジョーディはケリーがクオーターを勝ちあがった時点でタイトルが決まり、そのすぐ後のヒートだったので、集中力も切れたのか、ミシェル・ボレーズに負けて5位だった。デーン・レイノルズ、エイドリアーノ・デ・スーザ、ミック・ファニングも5位。 タイトルがらみのレポートはF+ウェブサイトのニュースで。 あと、アンディを含む、ハーレイプロで乗ったボード解説ビデオ第2弾もニューリリースしています。 なんかね、こういろいろニュースが重なると、ウェブって大変だな。やってもやっても終わらないし、締め切りはいつだって今になっちゃう。 ま、V10といい、アンディの不幸といい、こんな大変なことはこの先10年は起こらないだろうけど……。 とにかくサーフシーン的にはものすごい1週間だったと思う。 で、その一週間終えても私のところにはflowが来ない。 ボチボチほかのところには届いているようなのですけどもね。 いいなぁ、みんな、私より先に見られて。
アンディ・アイアンズ"

Bede Durbidge

ビード・ダービッジ"

CJ Hobgood

CJホブグッド"

Rob Machado

ロブ・マチャド"

Luke Munro

ルーク・ムンロ"
photos by ASP / text by yukiプエルトリコの現地時間の11月7日、ケリーがV10を決めた。しかも優勝というおまけつき、しかもファイナルで10点満点を出すというおまけつき。2010年にV10、ウイズパーフェクト10みたいな。数字の語呂合わせ遊びが好きなケリーにしたら、もうこれ以上は無いという10づくし。間違いなく10点は、そういう意識でも狙ってたはず。絶対わかって狙ってた。本当はクオーターで出して決めたかったんだと思うけど。この試合でファイナルまで行かなくても、クオーターでエイドリアーノ・デ・スーザを破れば自力タイトルというシチュエーションだった。で、そのチャンスでかっちり決めた。普通タイトルのかかっている試合で、こういう自力での決定があると、その後のヒートはほとんどおまけのようなもので、そこまでで負けてしまうことが多いけど、今回は女子のステファニー・ギルモアとともに、タイトル決定のあと、優勝で有終の美というシステム。男女それぞれ優勝、タイトル独り占め。ま、ケリーのタイトルは時間の問題で、ここで決まらなければそっちのほうがなんか変な感じ、という状態だったから、当然といえば当然。プエルトリコまでもつれたのはジョーディの活躍のせいだけど、プエルトリコといえばケリーのお得意の場所だから、もうしょうがないな。トラッスルズから後の後半戦、優勝、2位、優勝、優勝ってさ、なんかもうどうにも止まらないリンダ状態。あ、古いほうのリンダですけど。今年全体の成績を見ても、パイプで3位以上ならベスト8の成績がすべて3位以上で揃うことになる。現時点で年間4勝。うーん、このおじさんはどこまで行くんだろう。38歳で年間4勝ーー ベスト8でセミ進出率100%に向けてまっしぐらー 実はトラッスルズ終了の時点では、私も、おじさんは今年10とっておかないと来年はきついな、と思っていた。デーンもジョーディもかなりキテたからだ。しかし、あのサイズのあのタイプの波になると、うーん、やっぱ誰もおじさんにかなわないんじゃん、と再確認。そうねぇ、現状なら2011年に11、2012年に40歳で1ダースっての、あながち不可能じゃないよね。写真(すべてASP)1 昨シーズンのチャンピオンミックから祝福を受ける2 同、シャンペンシャワー3 ケリー応援団は10のサインでアピール。10点満点の10、V10の10、どっちでもオッケー4 レジェンドウオーターマン、マーク・カニングハム(左) にかつがれての凱旋。ハイファイブの嵐5 38歳。どうなの、これ。ホント、どこで止めても美しいよね、この人のサーフィンは6 KS10プロモーションチームとしてはけっこう用意周到だったね、今回は。プラカードつきの凱旋だけど、たぶんこのプラカードのビジュアルが、これから世界中のサーフィン雑誌をにぎわしていく広告なんだと思う。ケリーの顔が宇宙人的でちょっと怖いけど。あと、後ろにのぞく板のノーズに書かれたAIの文字が悲しい"

アンディ 4

flow036はまだ届かないけどアンディのお別れ会のインフォメーションが届いた。 11月14日日曜日、午前11時からカウアイ島のハナレイベイのパインツリーズで行われるそうだ。パドルアウトのセレモニーもある。 パイプマスターズの会期中にも、2度目で最後のセレモニーを行う予定だとのこと。 なんか、こういうインフォメーションが届くと、もう逃げられないというか、ごまかせないというか、本当に死んじゃったんだなぁ、という実感がひしひしやってくる。 ASPのニュースでパーコちゃんがアンディにささげるコメントを書いていたので、F+WEBのニュースに翻訳してあげておいたので、読んでみてください。 なんか、私は読んだとたんに、そうだよなぁ、ホント、そうだよなぁ、と思ってしまった。 F+WEBサイトはプレオープンとはいえ、動いているので、チョコチョコ新しいものも入っていくので、チェック入れてください。 しばらくはアンディにトリビュートで、アンディギャラリーを続けます。 私が撮影したアンディの写真の数々をギャラリーでお見せします。 まずは今シーズンの最新のもの、そのあと、今シーズンと昨年のもの、その後は1995年からスタートして2008年までを徐々に上げていこうと思いますので、よろしく。 ま、ちょっとキャプションボックスが発展途上で、変な記号とか入ってるかもしれないけど、プレオープンだから、細かいこと言わないように。会員だけのサイトになった暁にはそういう部分は解決してるはずだから。 95年から2004年前半まではまだアナログ、スライド写真だからね、タンスの奥から引っ張り出してスキャンして、というどうしようもない大変な作業なので、ぼちぼちやりますが、それより問題なのは90年代の写真たるや、ほとんど残っていないこと。 私ね、ホント過去をあまり振り返らないタイプなので、消えちゃっても気にしないのよ。 で、こういうときに困るんだな。 でも、残っている写真たちは大変懐かしいよ。 それにしてもね、こういうときにF+WEBなんだよね、きっと。 これが雑誌だけのままだったら。アンディ特集は来年の3月って話になっちゃうわけで、うん、変身して正解だな。
COOLANGATTA. Gold Coast/Australia (Thursday,November 4,2010)ASPニュースよりアンディに捧ぐジョエル・パーキンソンウェス(ジョエルのトレーナーのウェス・バーグ) が昨日の朝電話をかけてきた。それまでにもウェスから2回着信が入っていて、これは何かあるなとは思っていた。ようやくウェスが僕を電話で捕まえたとき、彼はまず子供たちが近くにいるかどうかを聞き、僕がいるよと言うと、そこから離れた場所で話したほうがいいと言った。僕は子供たちから離れたところに行き、そこでこの話を聞いた。自分が耳にしたことが信じられなかった。蒼白になってその場ににうずくまった。そのショックは昨日一日中僕にまとわりついた。昨日の午後、みんながスナッパーのサーフクラブに集まり、ビールを飲み、泣き、アンディの話をした。昨年のオッキーの誕生日に、みんなでウエスタンオーストラリアのデザート(周りにアクセス道路が無いビーチブレイクポイント) にサーフィンに行った話をした。僕たちはそのライトでサーフィンしたんだけど、ポイントには僕とアンディだけだった。夜は二人用のテントでぎゅうぎゅうになって眠り、キャンプの嫌いなアンディは、ずっと文句を言っていた。いろんな思い出が、たくさんある。2003年の日本では同じヒートになり、最初のプライオリティをチョコレートバーを投げて決めたこともある。どれもたくさんの想い出のほんの一部。アンディとのこんな想い出は100万以上ある。昨日より今日のほうがもっと悪かった。目が覚めたとたんにうずくまってしまった。だって、今、それが現実としてのしかかってきたから。昨日はまだ、そのニュースを聞いたショックのほうが大きかった。しかし今日になってみるとそれは現実のもので、もうアンディには会えないんだ、もう友達はいない、と思うといたたまれなかった。アンディと通ったジムにいつものように行ったけど、どうしてもその現実が受け入れられなかった。アンディが今にもそのドアを開けて入ってくるのを僕は待っていた。こういうときだからなお、プエルトリコにいるツアーの仲間たちと離れていることがとても寂しい。それと同時にまだコンテストに残っている選手たちが、友人を失ってもなお、試合で戦わなくてはならないことがどれだけ大変かを考える。自分にはすべてがものすごく遠い場所で起きている出来事のような感じがしてしまう。今シーズンはアンディと一緒にツアーを回る予定だった。僕が怪我をする前はカリフォルニアからヨーロッパ、プエルトリコのこの長いレッグを、僕と、アンディと、フレッド・パタッチアのチームで回る約束だった。その上すでに来年のツアーの話もしていて、来年のタヒチには、奥さん連中と子供を連れていこうと、話していた。彼がたったひとりでホテルの部屋で亡くなった、ということが僕を苦しめる。サーファーとしてのアンディは怖いもの知らずの荒くれのようだ。でも彼はその正反対の面もあって、僕が見た中でもっとも感情的なサーファーでもあった。彼はそのアグレッシブな気持ちでベストサーファーになった。僕にとっての憧れのサーファーだ。アンディがその気になれば、波の上で彼の出来ないことは無い。もう何年も、彼が信じられないような波で信じられないようなことをするのを見てきた。彼とケリー。このふたりで、過去10年間のサーフィンを独占してきた。昨日ミック(ファニング)と電話で話したとき、僕は彼に、今初めて君がショーン(ミックの兄弟) を失ったときの気持ちがわかるよ、といった。アンディは僕にとって兄弟のような存在だった。アンディのどこが好きだったかってー アンディはみんなを覚えてるんだ。顔と名前を覚えるすごい才能の持ち主。10年間行かない場所でも、昔に会ったそこの人たちのことを良く覚えてる。プロサーファーじゃなくても、彼が行った先々でかかわった人たちの名前やいきさつを、彼は絶対に忘れたことはなかった。彼は若くしてなくなったけど、その短い人生は濃密だった。32年だけど、それは普通の人の132年分の人生だったんじゃないかと思う。リンディ、生まれてくる子供、弟のブルース、そして彼の家族、ハワイアンの仲間たち、彼が触れ合った世界中の友人たちのことを思いやる。アンディはキングだった。サーフィン界のキング。Love you mate.Joel"

アンディ 3

とりあえず、皆さんにご迷惑をおかけしているflowの遅配問題ですが、早いところではぼちぼち届いているのではないかと……。運送業者の返答が二転三転で、ほんとに何度もすみませんが、最終的に本日発送済み。メール便のところは明日発送完了。う~ん、結局うちに来るのも来週なのか?? ホント、問い合わせの電話バンバンで、申し訳ありません。もうそのひと言しかございません。つのだのばかやろ~! と、ののしって、おいしいをビール飲んでください。 で、もうひとつの問題はアンディ。アンディはツアーの中でも奥さんのリンディ含め、夫婦ともに大変仲の良い友人だったので、ちょっと私なりにも頭を鎮める時間が必要で、こんなに遅くなりました。公式にはデング熱ってことのままだけど、デング熱というのはそんなに致死率の高い病気ではないので、それで治療中に死亡するってのもあまり無いことなんじゃないのかな、と個人的には思う。ハワイのニュースではメサドンによる中毒死が疑われる、というような話も出ているようだが、死因を究明したところで、アンディは帰ってこない。ま、変死なので捜査が現状どうなってるのか、という外側からの野次馬的好奇心は満たすかもしれないけど、私がそれを満たす義務はないし。 事実は、プエルトリコのコンテストで負けたあと、家に帰る途中で乗り継ぎ地のダラスで具合が悪くて乗り継ぎ便に乗れず、宿を取って1泊した翌朝10時ごろ、ホテルの従業員によって死んでいるのが発見された、ということだ。 来年には子供が生まれるのに……なんかね、ドラマみたいな悲惨な話。 コンテストは金曜日までオフ。その後もまだわからない。アンディと特に仲がよかった現役WT選手は、ロイ・パワーズ、ダスティ・ペイン、ファニング、パーコちゃんあたりだけど、ツアーにいない仲間たちもたくさんいる。みんな相当ショックだろうと思う。 アンディという人は、ケリーとかに比べるととても子供っぽいというか、純真でストレートな人で、裏表が無い人。臭いものには臭い顔をしてしまうタイプだ。ニコニコしたくないときにニコニコするって、たぶんアンディのもっとも不得意なことだったと思う。だから、感情がわかりやすいので、カメラマンたちには評判がよかった。ケリーも純だけど、その出る方角が違う感じで、何を考えているのかわからないという方向に誤解されやすい。というか、本当に感じ悪いなぁ、こいつ、って思うときもあるけど、本人はそういうつもりではないことが多い。アンディは無防備に自分を出してしまう性格ゆえに、とても繊細でナイーブなところがあった。いいやつだった。

Video

ケリーのパイプ快進撃...

パイプでの開幕戦から休む間もなくサンセットではCT第2戦がもうスタートしている。ラウンド1ではヒート3に登場したイエロージャージのケリーはなんと3位でエリミネーションラウンド行き。 サンセットのケリーだしなぁって思ったけど、なんとかヒート2位に入ってラウンド3に進んだ。 さて、先日のコラムで紹介した「ケリーのパイプ快進撃」サーフフードピクチャーズによるオリジナル映像からのキャプチャですが、いよいよ映像のほうがYoutubeにアップされてます。 サーフドロップスVol.4に収録されるフッテージのダイジェスト版ですが、このイベントでのケリーの様子も収められているし、見ごたえあり。 続きを見る