アンディに捧ぐ by ジョエル・パーキンソン

アンディに捧ぐ by ジョエル・パーキンソン

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COOLANGATTA. Gold Coast/Australia (Thursday,November 4,2010)
ASPニュースより

アンディに捧ぐ
ジョエル・パーキンソン

ウェス(ジョエルのトレーナーのウェス・バーグ) が昨日の朝電話をかけてきた。それまでにもウェスから2回着信が入っていて、これは何かあるなとは思っていた。ようやくウェスが僕を電話で捕まえたとき、彼はまず子供たちが近くにいるかどうかを聞き、僕がいるよと言うと、そこから離れた場所で話したほうがいいと言った。
僕は子供たちから離れたところに行き、そこでこの話を聞いた。自分が耳にしたことが信じられなかった。蒼白になってその場ににうずくまった。そのショックは昨日一日中僕にまとわりついた。

昨日の午後、みんながスナッパーのサーフクラブに集まり、ビールを飲み、泣き、アンディの話をした。昨年のオッキーの誕生日に、みんなでウエスタンオーストラリアのデザート(周りにアクセス道路が無いビーチブレイクポイント) にサーフィンに行った話をした。僕たちはそのライトでサーフィンしたんだけど、ポイントには僕とアンディだけだった。夜は二人用のテントでぎゅうぎゅうになって眠り、キャンプの嫌いなアンディは、ずっと文句を言っていた。

いろんな思い出が、たくさんある。
2003年の日本では同じヒートになり、最初のプライオリティをチョコレートバーを投げて決めたこともある。
どれもたくさんの想い出のほんの一部。アンディとのこんな想い出は100万以上ある。

昨日より今日のほうがもっと悪かった。
目が覚めたとたんにうずくまってしまった。だって、今、それが現実としてのしかかってきたから。昨日はまだ、そのニュースを聞いたショックのほうが大きかった。しかし今日になってみるとそれは現実のもので、もうアンディには会えないんだ、もう友達はいない、と思うといたたまれなかった。

アンディと通ったジムにいつものように行ったけど、どうしてもその現実が受け入れられなかった。アンディが今にもそのドアを開けて入ってくるのを僕は待っていた。

こういうときだからなお、プエルトリコにいるツアーの仲間たちと離れていることがとても寂しい。それと同時にまだコンテストに残っている選手たちが、友人を失ってもなお、試合で戦わなくてはならないことがどれだけ大変かを考える。自分にはすべてがものすごく遠い場所で起きている出来事のような感じがしてしまう。

今シーズンはアンディと一緒にツアーを回る予定だった。僕が怪我をする前はカリフォルニアからヨーロッパ、プエルトリコのこの長いレッグを、僕と、アンディと、フレッド・パタッチアのチームで回る約束だった。その上すでに来年のツアーの話もしていて、来年のタヒチには、奥さん連中と子供を連れていこうと、話していた。
彼がたったひとりでホテルの部屋で亡くなった、ということが僕を苦しめる。

サーファーとしてのアンディは怖いもの知らずの荒くれのようだ。でも彼はその正反対の面もあって、僕が見た中でもっとも感情的なサーファーでもあった。彼はそのアグレッシブな気持ちでベストサーファーになった。僕にとっての憧れのサーファーだ。アンディがその気になれば、波の上で彼の出来ないことは無い。もう何年も、彼が信じられないような波で信じられないようなことをするのを見てきた。
彼とケリー。このふたりで、過去10年間のサーフィンを独占してきた。

昨日ミック(ファニング)と電話で話したとき、僕は彼に、今初めて君がショーン(ミックの兄弟) を失ったときの気持ちがわかるよ、といった。アンディは僕にとって兄弟のような存在だった。

アンディのどこが好きだったかってー アンディはみんなを覚えてるんだ。顔と名前を覚えるすごい才能の持ち主。10年間行かない場所でも、昔に会ったそこの人たちのことを良く覚えてる。プロサーファーじゃなくても、彼が行った先々でかかわった人たちの名前やいきさつを、彼は絶対に忘れたことはなかった。

彼は若くしてなくなったけど、その短い人生は濃密だった。32年だけど、それは普通の人の132年分の人生だったんじゃないかと思う。

リンディ、生まれてくる子供、弟のブルース、そして彼の家族、ハワイアンの仲間たち、彼が触れ合った世界中の友人たちのことを思いやる。

アンディはキングだった。サーフィン界のキング。
Love you mate.
Joel”

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