デーンからの手紙

デーンからの手紙

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色んな方面の人々やウェブサイトでの書き込みなどから、ツアーを離れることに関して、なにかオフィシャルな発表をしなくてはいけないというプレッシャーを感じてきた。実際になにが起きてるのかを、みんな知りたがってる、最新の情報を欲しがってるっていうんだ。その気持ちは理解できないこともない。自分だってなにが起きてるのか知りたいし、情報だって常にアップデートされていたい。

ただ一つわかってほしいのは、僕にだって心臓があって、骨もあり、筋肉も、皮膚も、目も、歯もある。感情もある。あるときは感情に流されて行動し、また、あるときは意識的に決断を下す。でも、たいていは意識的に決断しているほうが多い。事実、僕は考えすぎることのほうが多い。神経質すぎるほどに考える。失敗を犯したら、ちゃんと対処してきた。怖く思うこともあれば、不安になったり、自信喪失したり、誘惑に負けてしまうことだってある。そして、人と接することによって、このような要素は倍増する。

精神的に鍛えたほうがいいんだろうけど、いろんなことで落ち込むことが多い。でも、たいていはハッピーで、周りの人たちをハッピーにするのも好きだ。笑顔ひとつだけで、人をハッピーにすることができるときだってあるんだよ。でも、たいていは、もっともっとなにかしないと、人はハッピーにはなってくれない。

正直でいたいと思ってる。特に自分に対しては。自分が恵まれているのはわかってる。ここに座ってる自分には、脈があって、呼吸ができ、外では鳥たちが鳴いているし、高速道路の音が遠くに聞こえ、太陽が沈もうとしていて、それに今日は金曜日だ。それだけでもありがたいよね。もちろん自分がその他のことでも恵まれてた環境にいるってことも、理解している。

スポンサー3社がサポートしてくれるおかげで毎日サーフィンができ、旅に行き、食べていけて、住む家もある。僕はそのお返しに、スポンサーをいいイメージで人々に印象づける。なかなかいい仕事っぷりだと自分では思ってるんだけど、こうなってしまっては、その事に関しては賛否両論ありそうだね。

サーフィンは僕の人生のなかで情熱を注いできたもの。だいたい海があること自体、我々は恵まれてるといつも思うんだ。熱すぎるわけでもなく、荒すぎるわけでもなく、酸性が強すぎて僕らの皮膚を溶かしてしまうようなこともない。それに陸地が絶妙な角度で海にのなかに傾斜していってるのは、どういうことなのー

何千マイル離れたところからエネルギーの塊がやってきて、それが柔らかに盛り上がり割れる。完璧な速さでそれは割れるので、ぼくらの小さな腕を振り回せばその速度に合わせることができ、数秒間無重力状態を波の頂点で味わったあと、フェイスを滑り降りていく。お好きな乗り方で自由に乗れるんだ。しかもたった一つだけじゃない。何千っていう波がやってくる。どんどんやってくる。サイズもまちまち、形も速度もぜんぶ違う。毎日、毎日違う波がくる。一生幸福感を味わえる。

もちろんこの幸福感を感じるのを邪魔するいくつかの要素が、存在する。
混雑、偽ツイッター、怒れるローカル、怒れるサーフ系ブロガー、熱心すぎるサーフフォトグ、クリス・マウロ、リップカールのコンテスト……と、リストアップしていけばキリがない。まあ、半分冗談だけど、半分は本気さ。それに、サーフィンは楽しむことだけじゃない。サーフィンはスポーツであり、ちゃんとした業界がそこにあり、公私混合は許されないわけだ。スポンサーから給料をもらってる、ってことは、それに対してある程度の義務が生じる。

ある人はコンテストに出場することが、その義務に該当するだろう。ゼッケンを着て対戦相手をコテンパンにやっつけるんだ。
薄っぺらで一次元的なクライテリアと、平均して双方に同じ波が来るわけじゃない不公平な条件で戦うということは、最終的にパフォーマンスだけで勝敗が決まることが稀な状況になってしまっている。

よく、わからないけど、そこが面白いところなのかもしれない。コンペティションは楽しんでるけど、信じてるかどうかは別。 自分の人生を賭けるの値するのかどうか……。あるいは、これは僕の義務なんだから、そんなこと考えること自体ナンセンスなことなのかー

1月にやった膝の手術のおかげで、この疑問に答える必要はなかった。すでにそれでツアーを離れていたから。治り始めたころには、もう辞めるつもりでいた。義務よりも冒険をとったんだよ。キャリアを台無しにしてる、可能性を自分でつぶした、才能を無駄にしてる、そういう雑音はぜんぶ聞いたよ。

でも、実際は、異なる方法だけど、建設的なことを試みていたんだ。世界中にトリップに行き、自分の限界を引き上げることに挑戦し、その結果、学び、成長し、進化して帰ってきた。コンテストのウェブキャストのように即時じゃないけど、でも最終的にはこういうことだってコンテストと同じくらい重要だし、こういうことからずいぶん遠ざかっていた自分に気付いたんだ。

コンテストの結果さえよければそれでいい、という快適な場所に甘んじてた。サーフィンのコンペティションで成功するには、最悪なコンディションの中でも、それなりに恥ずかしくない演技を30分のなかでまとめられるように、自分のパフォーマンスに磨きをかけなくちゃならない。不確定要素は抹殺、やり残したことは片付ける。ボードから落ちるな。自分の道具に精通せよ。波の選択を誤るな。高得点に結びつく身体の動きを繰り返し試して、再現できるようにしろ……。
もちろん例外もある。ニューヨークでケリー・スレーターがやったフルローテーション・スラブ・エアー・リバース。あれは繰り返してできる動きではなく、感動のパフォーマンスだった。
ビーチに上がってきたときの会話:
「ケリー・スレーター、あのスラブ・エアー・リバースはどうだったのー」
「えっ、あれってそういう名前なのー」

それに、ジョンジョン・フローレンスとガブリエル・メディナも例外。彼らが己のパフォーマンスに磨きをかけてくるのは時間の問題だけど、現時点ですでにコンペで成功を収めているのには感心する。まだまだ荒削りなのにだ。でも荒削りなところがまたいいんだろうな。

今年ジョンジョンと一緒に日本でサーフィンして啓発された。あのとき、彼は毎回波に乗るたびに新しい領域を探っているように見えた。僕だって新しい領域を発掘したい。解放されたいときだってあるよ。そのトリップが終わるころには、自分のサーフィンがレベルアップした感触もあったし、気分もリフレッシュしたんだけど、そこで台風のスウェルにもてあそばれ、あばら骨をやってしまった。

溺れそうにもなり、また一ヶ月海に入れない状態に逆戻り。愉しむには代償が必要ってことなのだろうか。特に危険を伴う波でジョンジョンについていこうとしたんだから、当然といえば当然なんだけど。

よって、26歳になった僕は、ワールドツアーを離れることになった。
才能を無駄にした。将来の可能性を閉ざした。プロとしての責任をとらなかった。

彼が望むのは、クレヨン遊びを家でやって、メチャクチャなボードに乗ることだけ、っていわれるけど……でも、ちょっと待って、待ってくれ。それは真実じゃない。クリス・マウロの言うことなんて信じちゃダメだ。あいつは時代遅れの恐竜さ。理解できないんだよ。WCTの選手としては終わりを告げるけど、ここからまた新たなるスタートなのさ。
野球のボールみたいなものなんだ。表面の皮が慎重に剥かれていき、中に巻かれた糸がほぐされ、最後は床に落ちた糸の山になる。でもそこからまた、もしかしたら役に立つような、たとえばセーターのようなものに編まれるかもしれないし、もしかすると、なにか綺麗なものになるかもしれない。小川の綺麗な水を飲む親鹿と2頭の小鹿が刺繍された名作のようなものに。どうなるかわからないじゃない。

でも、うまくバランスが取れるようにしたいって願っている。
そう、僕はメチャクチャなボードが大好きさ。でも、エアーをかますのも、自分の攻撃的な部分をカットバックで発散させるのも大好きさ。そして、コンペティションは最高だよ。もし感動を感じ続けられるならね。
でも、僕にはランキングやトロフィーは何の意味も持たないものなんだ。それより何かを学びたい。何かを創り上げたい。創造的になりたい。旅、新体験、新しい感覚……そして、もっとも大切なのは、サーフィンの限界を試してみたいんだ。まだコンペは続けるつもりだよ。でも、それに翻弄されるようなことは、もうない、ってことさ。

どんなバランスにするのかが、これからの課題になると思う。ここから果てしなく続く階段の第一歩だからね。わりと大きな第一歩ってことになる。ジャンプしたぐらいじゃたどりつかないほど大きな一歩。ロープとか安全装置なんかを使って登らなきゃ、越えられないような第一歩。で、そこに着いてみたらガッカリするようなことが待ってるかもしれない。もしかしたら古い段階のほうがよかったと思うかもしれない。
でも、それが人生の不思議な部分だし、それを経験できるのは嬉しい。

そして、それを可能にしてくれた人たちの恩は生涯忘れないつもりだ。

まず、僕のサーフィンに、どんな形であろうとも共感をもってくれたファンたち。なぜならば、トリップにでかけ、食べていけ、支払いができ、サーフィンが続けられるのを可能にしてくれるスポンサーが僕についてくれたのは、結局のところ、ファンの皆さんのおかげだから。

二番目にスポンサー。チャネルアイランズは僕が13歳のときから僕を信じ、僕の最大限の才能を引き出すボードを作ってくれている。それと同時にパフォーマンスとなんの関係もないボードだって作ってくれるのさ。ただ単にハイラインを描くことが楽しいってことを分からせてくれるだけのボードなんかもね。
そしてクイックシルバー。この先何が起きるかわからないような年に再契約を交わしてくれて、誠実に商品開発・販売をしてくれることに感謝したい。
ヴァンズには、僕を拾ってくれてありがとう、と言いたい。

このチームに属する一人一人が僕の好みのサーファーや人間で、その仲間入りができたことを光栄に思う。その他にも感謝すべき人が大勢いるけど、今晩思い出せるのは以下の人々。

僕のガールフレンド、コートニー。感動を与えてくれ、間違った考え方を直してくれ、愛情とアメをくれる君に感謝。
ブレア(マネジャー)。君がいなかったら僕の生活はハチャメチャになっていただろう。

うちの両親。ふたりの意見の不一致に感謝。普通の家庭には僕は向いてなかったかもしれない。毎週末、海岸線をドライブして大会に連れて行ってくれた父には特に感謝。あれはものすごい犠牲のうえに成り立っていたと思う。
創造性を培い、恐れを知らない心を育み、いつも間違いのないように見守ってくれた母に感謝。

幼いときから色んな体験をさせてくれた兄弟のブレックに感謝。

おそらく僕のナンバーワンのファンである祖父母に感謝。とくに西海岸で開かれるコンテストには必ず来てくれるグランマ・ボニーとパパ・チャックに感謝。僕の出番が午後3時でも、いいパーキングスポットを確保するために、朝の7時には会場にきてくれるんだ。

18歳のときにスーパー8のカメラをくれたグランパ・ボブに感謝。生涯の趣味を与えてくれて、ありがとう。
……デーン

写真
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