ページ 188
さて、さきごろアップしたオーストラリアの新しいサーフイベントのニュースに関して、本日、ASPから記者会見とともに公式なリリースが出された。それによると、ハーレーインターナショナルのファウンダーにしてチェアマンのボブ・ハーレー、そしてビラボンインターナショナルのCEO、デレク・オニールが、オーストラリアン・オープン・オブ・サーフィンの開催を発表したとのことだ。そう、ビラボンとハーレーの共同開催で、オーストラリアサーフィン発祥の地、ニューサウスウェールズのマンリーでサーフィンコンテストを同時開催するという発表なのだ。業界ではライバル関係にあるビラボンとハーレーが手に手をとってというのもなんか不自然な印象を受けるが、よくよく考察してみれば、ビラボンは今まで毎年ナラビーンで1月に行っていたワールドジュニアイベントの開催日程を、ハーレーが新たに開催するコンテストの時期のマンリーに動かしただけ。それで、今のUSオープンオブサーフィンのような、いくつかのサーフイベントの複合大イベントになるわけで、合理的といえば合理的。先にもお伝えしたように、ここ何週間かの噂では、スポンサーはナイキで、イベントの開催規模は億単位。日程はゴールドコーストのクイックとベルズのリップカールの間だった。ま、大筋というか、バックボーン的なところは噂どおり。だって、ハーレーはナイキの傘下にあるブランドだし、場所がマンリーというのはビンゴだったから。ビラボンがワールドジュニアをそこに動かしたというのは実に驚きではあったけど、考えてみればリーズナブルでもある。噂では賞金総額が億単位だったものが千万単位まで格下げにはなったが、そこに相乗りするのは正解だし、そうやって大きな複合イベントにするのはオーストラリアのサーフシーンにとって悪いことであるはずはない。記者会見に顔を見せていたミック・ファニングはこの発表について、クイックシルバープロやリップカールプロ以外にもオーストラリアに大きなイベントができるというのは、オーストラリアのサーフシーンにとって大きな刻印を刻むことであり、喜ぶべきことだと思う。と語った。また同じくマンリーの会見場にいたオッキーも、僕が持ってるワールドチャンピオンのシード権は、こういうビッグイベントに使えるんだよね、と満面の笑顔で大きくうなづき、冗談半分で、ツアーへのカムバックの可能性を語った。信じるのか信じないのかは別として、開催者サイドはメンズ、ウイメンスの6スター、ワールドジュニアのメンズ、ウイメンズ、そしてスケートボード、音楽、ファッション、アートなどの1週間にわたるこの複合イベントで、125000人の観客動員を見込んでいる。さて、来年の2月、どのぐらいのナイキ6.0のバナーがマンリーに立ち並ぶんだろうか。ここ数週間、オーストラリアのサーフィン界のメインウェブサイトというウェブサイトに、ナイキ6.0の広告があふれかえっていた。これだけを見ても、巨大サーフブランドとは桁違いの巨人、ナイキのマーケット参入が目に見える形になるのもそう遠くはないことが明らかだ。しかし、今日のアナウンスの時点では、ビラボンとハーレーが手を取り合って、新しいサーフィンコンテストをプロデュースするという話にとどまっている。
アンディ・アイアンズの家族から、アンディの検死結果と毒物検査結果に関する声明がメディア関係者にとどいた。結果からいうと、アンディの死因は急性心停止による自然死であると声明文には書かれている。アンディのファミリーは、二人の法医学専門雇い、テキサスの検視官がまとめた検視結果を理解しやすいように解析してもらったという。それによると、アンディは冠状動脈硬化症を患っていたらしく、彼の大動脈は極度の閉塞状態にあったようだ。彼の心臓の動脈の一部は70%~80%塞がっていた状態だったというのだから、医学的知識がなくとも、アンディの血管がかなり危険な状態にあったことが想像つく。「ここまでひどくプラークがたまっていると、突然死に至るケースが多い」とは、家族が依頼した専門家の一人の意見である。しかし、アンディはまだ32歳という若さで亡くなっており、このような疾患を患うにはまだ早すぎるようにおもわれるが、この専門家はアンディの不慮の死は父方の遺伝によるものであると結論付けている。実際に父方のほうに鬱血性心不全で亡くなっているファミリーメンバーが複数おり、去年になって胸の痛みや時折極度の胸焼けを訴えていたと妻リンディが証言している。オーストラリアのホリスティック医療関係者に、「あなたの心臓は50歳ぐらいの心臓」と言われたこともあったという。さらに、5年前、アンディは腸チフスにかかっており、その結果、心臓の筋肉が損傷を起こしていたのではないかと家族は推測する。ここまではシンプルで誰でも理解できるのだが、ここから先がややこしくなってくる。テキサスのオフィシャルレポートは、第2の死因をあげており、これをめぐって前出のファミリー側が雇った法医学専門家がオフィシャルレポートに異を唱えているのだ。オフィシャルレポートはアンディの体内から処方薬と薬物の両方が検出されたことを示しており、これらを第2の死因と位置付けているが、家族が雇った専門家によると、これが直接的な死因になったとは考えられないとしている。あくまでも、アンディの死因は自然死であり、検出されたコカインや覚せい剤はアンディの突然死の要因ではないと言っている。アンディは18歳でバイポーラー(双極性障害と呼ばれる躁鬱病)と診断されたと声明文には書かれており、その症状の一部である不安感や不眠症を治療するために複数の薬を処方されていたと家族が証言している。「アンディは自分の化学的不均衡を受け入れられず、自分の極端な感情起伏を自分の精神的弱さとし、麻薬を使って自分で治療しようとした」とさらに声明文は説明する。アンディの家族をはじめ、彼の友人やスポンサーも彼が依存症から立ち直れるように介入したらしいが、どうやらうまくいかなったようだ。これらのことが事実であるならば、アンディは多くの問題を抱えたチャンピオンであったことがみえてくる。薬物の依存症以外にも、精神的に不安定な状態にもともとあったという。これで彼のこれまでの言動や、ツアーから1年間オフをとったのもなんとなく説明がつくのではないだろうか。表舞台ではワールドチャンピオンという栄冠に何度も輝き、きらびやかなスポットライトを常に浴びてきたアンディだが、その裏では多くの問題を抱え、葛藤の日々を送っていたとおもうと忍びない。(堅木)
futures システムを実に10年以上に渡り愛用し続けている、ロブ・マチャド。そんな中で、ロブは自らのフィードバックを元に自身初のシグネチャーフィンをリリースしたいという希望から、プロジェクトはスタートした。ロブとfutures が考え付いたコンセプトは、まず流体力学に基づいたドラッグの少ない、流れるようにスムーズなカーブラインのフィンフォイルを持つこと、そしてもう一つ は環境への配慮を最優先にした素材であること、その二つの要素が、パーフェクトに調和されたフィンであることが軸となるプランであった。そこでロブのシグネチャーフィンにはfutures が得意とするフォイルデザインと、その極めて正確な製造技術を生かし、VECTOR 2 フォイルとネーミングされるfutures が独自に考案したインサイドフォイルデザインをサイドフィンに採用することとなったそしてフィンの性能を最大限に引き出す上で重要な素材については、今までに何十パターンものプロトタイプをテストし、トライ&エラーを繰り返す日々が続いた。そして、やっとたどり着いた結論はカーボンファイバーとBAMBOO(竹)を組み合わせるという斬新な発想であった。  BAMBOO ーすなわち竹という素材は優れた再生能力と旺盛な成長力を持つとして環境保護の観点から注目されている。それは今回のコンセプトにベストマッチするマテ リアル。しかも独特のフレックスパターン(しなり)は、ある一定の反発力が必要不可欠なフィンの素材としてはこの上ない条件を持っていた。BAMBOO の優れたフレックス特性を絶妙な硬さにコントロールするのは、最先端の素材であるカーボンが最適で、そのカーボンを効果的な硬さが生まれるようなデザインにカット。そしてカーボンは余分なレジンを吸収せず、驚異的な軽さに仕上がるといった特性も兼ね備えている。二つの相反する素材を重ねたレイヤーから形成されるトーショナル フレックスパターンと超軽量というフィンのコンセプトが、ターン中に潜在的なエネルギーを蓄え、動的なスピードとなりパワーに変換されるーこれがロブの求めるライディングフィールにぴったりとかみ合った。ロブは既にfutures からリリースされていたV2 Black stix 2.0-AM 1 を何年も愛用しており、このように語っていた。「僕がフィンのデザインをするにはとても良いタイミングだと思っていた。かねてから愛用していたBlack stix が持つフレックスパターンが大好きで、そのコンセプトを継承した僕自身が必要とするフィンを創りたいと考えていたんだ。みんなも知っているとおり、僕はどちらかというと感覚的なタイプの人間なので、今回のフィンも具体的に理論を交えた説明するのは苦手なんだけど、とにかくライディング中のフィーリングが今までのフィンとは格段に違う。本当にターンフィーリングが素晴らしいよ!」futures のヘッドデザイナーでありfutures社のCEOでもあるヴィンス・ロンゴ氏は、こう語っている。「今回、世界でもトップクラスの優れたサーファーであるロブと共に、このプロジェクトに携わることができたことは、とてもエキサイティングで幸運 なことだと感じています。Futuresブランドで彼のフィンをリリースできたことは、私のサーフィンライフ、そしてビジネスライフの中でも、とても誇らしいエピソードの一つです。なぜなら、そんな偉大なサーファーと一つの製品を開発できる。そんな貴重な経験は一握りの人しか体験することができないからね!」ロブのシグネチャーフィンはポリエステルの代わりにエポキシレジンを使用している。このエポキシレジンの大きなメリットは硬さもさることながら、より軽く弾力に優れるといった特性があり、VOC(揮発性有機物質)の放出が少ないという利点がある。ロブ・マチャドのシグネチャーフィンは強度に優れ、軽量、スピード性といった要素を維持しながら、エポキシレジンを採用し、環境に与えるダメージを最小限にとどめることに配慮しているまさにロブのサーフスタイルやライフスタイルを反映したシグネチャーモデルといえる。FUTURES - ROB MACHADO SIGNATURE FIN from Futures Fins on Vimeo.futuresに関する問い合わせマニューバーラインhttp://www.maneuverline.co.jp"
パール・ジャムがはじめてハワイにやってきたのは‘90年代初頭だったろうか。ハワイ州立大学のキャンパス内にあるミニ・コロセアムのような野音で、ロックの歴史を変えたグランジロックとはなんたるものかを強烈に見せつけられた印象がある。あの日、パールジャムのボーカルがステージ上のやぐらから観客のなかに飛び下り、身体を張ったパフォーマンスに我々は度肝を抜かれたのを今でも鮮明に憶えている。そのパールジャムのフロントマン、エディー・ヴェダーはサーフするミュージシャンとして有名であり、10xワールドチャンピオンのケリー・スレーターらとも親交が深い。エディーのステージにケリーが現れることもあれば、ケリーに連れられてエディーが海に入ることもあり、お互い才能を認め合っている仲である。ハワイでおこなわれるビッグウェーブコンテスト、クイックシルバー・イン・メモリー・オブ・エディー・アイカウのオープニングセレモニーにエディーが呼ばれ、ステージを披露した記憶もまだ真新しい。2006年にエディーらは、またこの島に戻ってきた。ロック界のスーパーバンド、U2のオープニングを務めるためにである。そこでエディーはハワイのレンジェンド、IZのハワイアンソングをカバーするという想像もできないようなことをやってのけた。ハワイ語でチャントするように熱唱するエディーを観て、観客は総立ちになり涙を流す者さえいた。グランジロックのパールジャムがIZをカバーすること自体ありえないことだが、あれはハワイに住む人たちの心を理解しているエディーならではのパフォーマンスであろう。前座のほうがU2よりもよかったと、あの時のエディーの熱狂的なパフォーマンスは今でもハワイで語り継がれている。エディ・ヴェダーは幼少からサーフィンを覚え、いつの間にかハワイに惚れ、ついにウクレレCDをリリースするまでになった。米サーフラインが新CDリリースに合わせ彼のインタビューをアップしたので、パールジャムのファン、エディー・ヴェダーのファンに日本語訳をここにお届けしよう。“ウクレレソングス”に収められている曲は、時代を超越してるようなチューンですね。30年代っぽい。どうやって見つけたんですか?偶然、曲とコードが載ってるボロボロの古本をみつけたんだ。アルファルファがダーラに歌ったみたいな(The Little Rascals)、ああいうのだよ(笑)。なぜか歌詞に共感を覚えちゃって、コードは載ってたんだけど、どんな風な曲なのかはまったくわからなかった。そこで、コードを再構築し直して、マイバージョンにしてみた。数ヶ月前、レコードの仕上げに忙しかったころ、一緒に働いてる仲間の一人が色んな人たちが歌う他のバージョンを見つけてきてくれた。ある曲はビリー・ホリデイのバージョンで、タイマツ風のジャズみたいなやつで、俺のバージョンとはまったく異なるものだった。けど、レコードのテーマには不思議とフィットした出来になったよ。私にはラブソングとララバイのバイブが伝わってきましたけど。ラブソング、憎悪ソング…。「ウクレレ・憎悪ソング・レコード」ってタイトルで売り出そうかな(笑)。ウクレレとの熱愛関係はいつはじまったのですか?あるとき街角に座っていたら、このウクレレがやってきて、いっちょまえのことを言うんだ。それ以来一緒の仲さ。俺に隠れて浮気するわけでもないし。いつも俺がおごらなきゃいけないわけでもない。このウクレレはよーく人の話を聞くんだ。でも必要なときは、いいアイデアをくれるんだよね。こんな理想的な関係ははじめてかもしれないな。付き合い始めて14年経ったけど、今でも二人のあいだはラブラブさ。俺はじっくり長く付き合うタイプなんだぜ。あっ、それにギターを演奏しても嫉妬しないとこがいい。ギターとの向き合い方も、このウクレレが教えてくれた。メロディーや曲の構成について色んなことを教えてくれる。みんなウクレレを購入するべきだとおもう。ヒトは自分を表現する方法がいるんだ。練習する時間がないなんて言うのは、うそ。だって、アメリカンアイドルみたいなくだらないものを観る時間はあるんだから。リアリティー番組っつうものは、現代アメリカンライフスタイルのもっとも低俗な悪趣味を代表するようなものだよ。TVを消して、ウクレレを手にするべきだよ。弾き方はウクレレが教えてくれるって。そんなに難しくないんだ。弾けるように感じるまでに数週間から1ヶ月。そうこうしてるうちに10ポンドの減量にも成功!ってなわけだ。真偽はともかくとして、それっていいキャッチコピーじゃないー どうせ宣伝なんて嘘ばっかなんだから。おれがおっぱじめるかー1週間でミリオンセラー間違いなしだよ。でも、インターネットでみんなタダでダウンロードしたら、どうする?(笑)あなたの創造的プロセスにサーフィンは欠かせないものになっていますね。その一人の時間というのは、曲作りにどういう影響を与えますか?いい歌が10ヤード沖で待ってるわけじゃないんだよ。もっと深いとこまでいかなくちゃ。いつかは狂った科学者のようにならなくては、いい物にはめぐり合えない。こういうことかな…翌朝、自分の作品なのに、読んだり聴いたりしてもなにも思い出せないってことがある。自分の声、自分の字なのに、それが記憶に残ってないんだ。非日常的な状況に自分を追い込まないと、いい物にはたどりつけないのさ。サーファーならパドルアウトする直前に聴く曲には気をつけないとな…じゃないと、その曲が頭から離れなくなる。たとえば、エルポルトのパーキングに君はいるとしよう。ウェットスーツを着てると隣のクルマから「フットルース」が流れてくる…絶望的だね。向こう1時間半、頭の中で「フットルース」が何度も何度もリプレイされることになる。だから、俺はラモンズやフガジを聴いてから海にはいるようにしてるのさ(笑)。自分が手がけている作品を耳にしながら、頭のなかで楽器を弾いてるのを想像するんだ。そして沖で構想をまとめる。ビーチに戻ってくるまでに曲が完成してることだってありうるわけだ。できたら、あまり混んでない日のほうがいいね。波待ちしてる間にけっこうはかどるものだよ。もう一つ…防水のiPodを装着し、ながーいスタンドアップの一人旅にでることがある。音楽があれば、2時間でも漕いでられるよ。プジェット湾のような波のないとこがいい。水の上をハイキングしてるようなものだね。つい数年前まで音楽を聴きながらサーフィンなんてしたことがなくて、はじめてその体験をしたとき、ものすごい衝撃を受け、まるで音楽をはじめて聴いたときのような神々しい体験になった。そのときの曲は?二―ル・フィンのライブ盤さ。3度目のセッションまでワイプアウトがなかったんだけど、ドラムソロのさなかにコケて、洗濯機のなかをぐるぐる・・・みたいな。たいした波じゃなかったからヘッドフォンが外れなくてさ、ドラムソロに合わせてもまれてた。あぁ、いい思い出さ。このごろは今取り組んでる作品を持ってスタンドアップに行き、波に乗ったりしてる。突然、音程が微妙に高くなったり、いきなりコーラスのセクションがコーナーで待っててくれたりして調子いいよ。子供のころからの念願の発明品だね。ウォークマンがでてきたのは俺が14歳ぐらいのころ。ウォークマンをつけてる人をはじめて見たのは、1982年だったかな…マーク・リチャードをはじめて目撃した年でもあった。飛行機を所有してるような人で、手のなかに音楽を聴く装置をもっていた。それがはじめて見かけたときで、ははぁーって恐れおののいたね。それ以来、音楽を海のなかで聴く可能性について考えはじめた。あの当時の物は粗悪品が多かったけど、今ではだいぶよくなってきてる。音楽を書くとき、コードの骨組みが大切になってくる。このパートがそっちのパートに組み込まれる…みたいに。でも、俺は常にそれをスケートのランプのように考える…トランジッションっていう移行部があるでしょ。曲と音楽のちがいはトランジッションにあると僕は考える。曲は、音楽とはちがう。曲は音楽のように聴こえなくてはならないんだけど、時折、ただの曲のように聴こえてしまうときがある。パートのように聴こえ、その次のパート、またその次みたいに。そこでうまくフローするためには移行部が重要になってくる。まるでカットバックやトップターンのように。どのようにマニューバーをするかがポイントになってくるんだ。歌詞とボーカルのアプローチの仕方がすべてを決めるのさ。音楽というのは波のようなもので、歌詞とメロディーの骨組みのこと。そこでこそ移行部が重要になってくると信じている。それこそ波の上で繰り出される技であり、ワイプアウトせずにメイクすることと同じことだよね。ニール・ヤング、ブルース・スプリングスティーン、ザ・フーといったレジェンドたちと一緒にステージでプレイしたかとおもったら、MR、ケリー、レアードといったレジェンドたちとサーフィンもする。時には自分の置かれてる環境に、ワーオ! って感動しませんか?サーフィンしてる最中は波に集中してるのは私も君も周知の事実。それ以外のことはあまり考えてる余裕がない。MRやケリー、それにレアードとサーフィンするとき一つだけちがうのが、波の選択だね。彼らが波を選ぶのを手伝ってくれるんだよ。次の波がきてて、それに行けって言われたら、その波はもう自分の波。どんなにレイトでも突っ込まなきゃいけない。彼らの選択眼は確かだから。ケリー、レアード、MRのようなお方がその波に俺が乗れるっておもってくれること自体励みになるし、彼らのような伝説の人たちに「行ける」と言われたらほんとうは無理でも彼らの言葉を信じちゃうんだよね。で、結局、乗れたりしちゃう。あれっていいよ(笑)。ブルースとかニールと演奏してるときって、その瞬間に集中してなきゃならない。「最高でしょー」なんて考えてる余裕はないんだ。感動する時間はあとで十分ある。それより、その演奏を完璧に成し遂げなければならない。ブルースが球を投げたら、それをしっかりキャッチするんだ。そして、彼は予期せぬことをばんばん俺に投げかけてくるんだから。はじめて乗った波は、どこでした?はじめて乗った波は、ドヘニービーチ。12歳だったとおもう。サンフアンキャピストラーに住んでる知り合いがいたんだ。12ドルで買ったボードを俺はもっていた。そして、ジャックスサーフショップに行って、足につけるビニールストラップがついたバンジーコードを13ドルで購入した。合計25ドルの投資で、波に乗ることができたんだよ。1週間あそこにいたっけ。最悪なボードだったんだ。チャニンなんとかっていうので、いま思い出しただけでも腹が立つ。あのボードのせいで出遅れた。波に乗るまえから足を引っ張られたよ。史上最悪のボードだな、あれは。未だにあのトラウマから抜けだせないでいるんだ(笑)。俺の記憶が正しければ、あのビーチって今ではカリフォルニアで最も汚染されたビーチなんだよね。だから、うーん…最高だね(笑)。実際は、ほんとうにひどい話しだよ。最後に乗った波は、どこでしたか?最後に乗ったのはノースショアの波。どこかは言いたくないんだけど(笑)。ハワイ最終日に、飛行に乗る1時間だか2時間前のこと。この数年ハワイによく通ってますけどが、ハワイとはエディーにとって何なんでしょう?ジェームズ・メッチェナーの著書“Hawaii”ぐらいの厚さの本だったら、自分の体験だけで書けるね。正直言ってあの島々は…メロドラマ調に説明したくないんだが、今から俺が言おうとしてることはどうしてもメロドラマ調になっちまう…あの場所に僕は救われた。それだけじゃなくて、命を助けられたあとも、俺のことを守ってくれている。あそこにいるとある力に守られてるように感じるんだ。ローカルのなかに親密な関係を保っている人たちがいるしね。彼らは今でも私がもっとも大切にしてる人たちの一部だよ。それと同時に、自分のことを理解したのも、人類につい学んだのも、社会について理解を深めたのも、自然について知ったのも、多くはあそこでのことだった。一人孤独に…時には何ヶ月も隔離された場所にいたりした。ぞういったありがたい体験を自分は経験できたことを感謝している。音楽を書くには、とっても健全ないい場所だよ。社会について学んだって言うのは、社会から遠ざかってみてはじめて社会というものがわかった。客観的にモノが見えるようになるからね。人と遠ざかってみると人の良さがわかり、その反対も然りである。人々に対する信仰の器を満たしてくれるのさ。あそこから得たものは、すべてピュアな世界からきたものだと信じている。みんなが聴く歌詞のなかにそういったアイデアや理想みたいなものが反映されていたとしたら、その言葉は信頼おけるものだと自負している。パールジャムは結成20周年を迎えようとしていますが、このご時世で20年はたいしたものですね。メンバーにとってパールジャムはなんなんでしょうー弁当を持って仕事場に集まってくる仲間たちが5人いて、毎日挨拶をかわし、楽器を取り上げ、音作りに励み、そしてそのあとはみんなで意見交換して集中すると、そこから音楽が生まれるんだ。それを発表する曲数が揃うまでやる。それが終わったら、外に遊びにいくのさ。詰まるところ、弁当箱を仕事場に持ってくるっていうことなんだよね。そんなハードなことじゃない。決してハードではないよ。音楽は大きく解き放れた世界を航行し、成長の可能性を無限大に与えてくれるんだからね。くすぶってさえいなければ、音楽はきみに味方してくれるさ。我々はいつも前を向いて生きている。それを誇りにおもっていいし、そう感じてるはずだ。でも、それも45秒しか続かない。ほんとうのことさ。
いやぁ、ときの立つのは早いもので、ボヤボヤしてるとブログって、本当に月イチ更新とかになっちゃうね。私的にはそっち方向、超簡単。 ツアーに出てれば、やらねばならぬ、みたいな悲壮なまでのプレッシャーというかサービス精神というか、周囲からの脅迫というか、いろんなものに押しまくられて、苦行だ苦行だとぼやきながらやるので、ほぼ日刊ツノダ新聞になるわけだけど、その反動? 別に日々書くこともないし、人様に語りたいこともないし。 え~っと、実はちょっと特権発揮して、次号、いち早く手に入れた私。 いい出来ですわ。自画自賛。カリッサ、ごいす~。 今ハワイ、これからカリフォルニアと人に会うツアー、弾丸で5泊8日空中2泊みたいな、疲れる旅。それに最新号持ってくって話で早くに入手。会員用Tシャツも、実は私、初めて本物見ちゃいました。 撮影とかに使ってるのはサンプルなもんで。 すごいね。超かっこいいじゃん。なんか、Tシャツそのものも、タダでもらうのに超高級だし。もったいない。これはタダではあげられないなぁ……とすでに手遅れな感想ですわ。 イラストを描いてくれたシェーンに届けるのに、私、荷物の中にTシャツ20枚ぐらい入ってて、もう運び屋状態。F+もそうとう重かったし(笑)。 ノースの本日は、波小さいながらもクリーン。腰胸ぐらいの超ファンウエイブ。おそらくシーズン最後のスウェルだな。この先ノースはひたすらフラットな日々へと突入します。 なんかね、5月の最終週から6月の第1週って絶対波ある特異日みたいよ。毎年必ず、こういうファンでクリーンなヤツがあるらしい。水はあったかいし、超澄んでて海がめ丸見えだし、これでフラットなのが夏のノース。
■2011年度世界ジュニア選手権大会が閉幕!!!初出場の仲村拓久未選手(三重)が16位の大健闘!!国際サーフィン連盟(ISA)主催のQuiksilver ISA World Junior Surfing Championship 2011が、ペルーはプンタ・エルモサビーチにて開催され、7日間27ヶ国の世界トップジュニアサーファーによる熱い戦いが閉幕しました。チームジャパンは、11名が参戦しました。大健闘を見せたのが、本戦をR4まで勝ち上がった仲村巧久未選手。世界ジュニア初出場ながら、世界のトップジュニアサーファーの中で16位と素晴らしい結果を打ち出してくれました。日本の国別順位は13位でした。本大会を終えたチームジャパンメンバーの感想は、近日NSAオフィシャル・サイトにてアップします。楽しみにしててくださいね。また、次回の国際派遣大会は、6月25日(土)~7月2日(土)の世界選手権大会です!! 引き続き、みんなでチームジャパンを応援しよう♪国別総合順位 / 日本13位日本代表選手 個人順位仲村 拓久未 選手(三重)     16位稲葉 玲王 選手(JPSA公認プロ) 61位佐藤 魁 選手(湘南茅ヶ崎)    73位大森 海夏人 選手(茨城南)    41位渡邊 藍 選手(千葉南)       41位山中 海輝 選手(奈良)       41位松野 陽斗 選手(湘南茅ヶ崎)   57位水野 亜彩子 選手(JPSA公認プロ)43位野呂 玲花 選手(徳島)       43位高橋 みなと 選手(宮城仙台)    49位村松 爽香 選手(静岡2区)     61位※大原洋人選手は参加を辞退しています。情報提供一般社団法人 日本サーフィン連盟 事務局(NIPPON SURFING ASSOCIATION)
あっという間に5月も終わり、春も終わり、バラも終わり、もう梅雨なのね。 早いなぁ。 で、締め切りのフヌケのなか、締め切り中からなんかバタバタといろんなニュースが入ってきて、いろいろ考えたけど、そんな暇もなく締め切り。 ようやく終わってのいっちゃんだよ。 知ってる? いっちゃん。 東浪見は一宮町という町にあるんだけど、その一宮町キャラクター。それがいっちゃん。ま、チーバくんのよりローカルコアバージョンだな。 人口たかが1万何千人の町なので、F+の読者より少ないわけだけど、いっちゃんはマイナーなので、たぶんチーバくんみたいなグッズにはなってないと思う。 ま、町の施設や駅なんかに、このプリンターでプリントしたっぽいポスター? が貼ってあるだけ。これはアイデア的には上総の国一の宮の玉前神社の巫女さんなんだろうな、きっと。神の町ですから。 私的にはいっちゃんというと、田中樹プロなわけだけど、いっちゃん、元気? 最近会わないね。 でもま、一宮町的にはいっちゃんはこの子だな。お決まりのゆるさがウリで~す。 ブラジルのジャッジ問題のあとに来たアンディの死因問題。ま、これは6月20日には何があっても公開されてしまうので、その時点でまた現実を直視しなければならないのだけど、死因が薬物の過剰摂取であれなんであれ、アンディ・アイアンズというサーファーが残した足跡というか影響というかは否定しようもなく、ケリーの10度のタイトルはアンディがいなければおきなかったことは明白で、3Xワールドチャンピオンの栄誉は消えるものではない。ただ、本当にその死を残念に思う。 そしてナイキ6.0のオーストラリアサーフマーケットでの鮮烈デビュー。う~ん、オーストラリアやアメリカでは2試合の枠一杯だから無理でも、日本ではWTはゼロだから、日本でやってくれないかな。マジで。
ケリーはワールドツアーに参戦するのか?サーフ業界の疑問に答えるかのように2011年ワールドツアー第一戦に姿を現し、記者会見をするケリーから始まるWater Pocketシリーズ最新作は、全てのインタビュー、会見に日本語字幕が追加され、さらにその場の雰囲気を感じる事ができるようになった。オフィシャルジャッジスコアー付きで、今年の高得点アクションがわかるようになっているのもwater pocketシリーズの特徴で、テイクオフからキックアウトまでを収録してある事から、ライディング全体がわかる教科書的な要素も持ち合わせている。ダブルアングル撮影でテイクオフを超至近距離から撮影した映像は、プロサーファーのパドリングからテイクオフを研究する最高の素材はこのwater pocketだけだ。ケリー・スレーターを中心に編集されていて、ケリーのバリエーション豊富なサーフ映像はもちろん、間に収録されている最初から最後までのインタビューを聞くと、ケリーの心の動きがわかる。今年は3Dスタイルのテールアウトマニューバーを武器に高得点を連発したタジとケリーが勝ち上がって行く様子が最高に面白い。最後にはバーレーヘッズの膝~腰サイズ、まるで日本の波質でおこなわれたBreaka Proもパーコ、タジ、ジュリアン、オーエンなど現代サーフィン最高のメンツを中心に収録。果たして彼らはどうやって膝波を乗りつないでいくのか?高い位置から撮影された映像は、テイクオフからキックアウトまで、小波の教科書度100%。ボーナスの一つには今年ケリーの次に話題になった女子優勝のカリッサ・ムーアを収録。これは見る価値ありです。ケリー、ミック、タジ等世界トップメンズサーファーが『今大会のカリッサは、マジでヤバくて見てて最高に楽しかったよ』と話題になるほどだ。ケリー、タジの映像が満載、日本語字幕付きでさらにパワーアップしたTabrigade Film最新作『Water Pocket -VII-』が発売。

Video

ケリーのパイプ快進撃...

パイプでの開幕戦から休む間もなくサンセットではCT第2戦がもうスタートしている。ラウンド1ではヒート3に登場したイエロージャージのケリーはなんと3位でエリミネーションラウンド行き。 サンセットのケリーだしなぁって思ったけど、なんとかヒート2位に入ってラウンド3に進んだ。 さて、先日のコラムで紹介した「ケリーのパイプ快進撃」サーフフードピクチャーズによるオリジナル映像からのキャプチャですが、いよいよ映像のほうがYoutubeにアップされてます。 サーフドロップスVol.4に収録されるフッテージのダイジェスト版ですが、このイベントでのケリーの様子も収められているし、見ごたえあり。 続きを見る