ジョンジョン・フローレンス・インタビュー

ジョンジョン・フローレンス・インタビュー

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ジョン・ジョン・フローレンスは彼自身のスタイルが持つ大きな可能性にとりつかれている。将来そのスタイルが、世界を席巻するかもしれない。
彼のスタイルは教えられたものじゃない。信じられるかいー 彼は全てそれをノースショアで学んだんだ。ビーチブレイクのエフカイから、リーフの代表とも言えるパイプがそれを可能にした。スケートボードも、技術的な部分で大きな助けになっている。

「彼はスケートボードの要素をサーフィンに取り込むのが得意なんだ。凄すぎて、何やってるんだかよくわからないよ」とWTルーキーのコロへ・アンディーノは言う。「びっくりするようなポジションでも上手いし、リラックスしてるんだよ」。

ジョン・ジョンは、小さいながらも難易度の高いバックサイドとフロントのバレル、さらにはイベントで一番でかいエアー(バックサイド・フルローテーション)を立て続けに決めて、ビラボンプロ・リオを制したばかりだ。昨年のトリプルクラウンのタイトル(トリプルクラウンは、この先何回も取るだろうけど)に、このWT初勝利が加わって、ハワイのベストサーファーに向けて着実に歩を進めている。インタビューの電話をした時、ジョン・ジョンはカリフォルニアに居た。この後は一週間程地元に戻り、次のコンテストの開催地であるタバルア(なんと彼、フィジーは初めて)に向かうらしい。ブラジルでのヒートの話から、バックサイドのエアーが好きとか、帰りに周りの人に捕まっちゃった、というようなエピソードにまで話が及んだ。

最後の数ヒート、どんな感じだったか説明してくれないー 実はあんまり憶えてなかったりする?
いや、そんなことないよ。わりと全てのヒートを意識的に憶えるようにしてるから。一歩、一歩、少しずつ進んだって感じ。自分では最終日のヒートをうまくコントロールできたとは思ってない。だってWTでは毎回のヒートが、人生で一番プレッシャーのかかるヒートだからね。僕はどうにかその意識から抜け出せるように、それがヒートだと考えないようにしたんだけど、それが上手くいった。フリーサーフの感覚に近づけたと思う。もちろん、同時に戦略があってのことなんだけど。

最終日、どのヒートも最初の10分間で勝負を決めてたよね。
ラスト3ヒートはどれも同じような展開だった。今回はいつものプランとは違うアプローチで臨んだんだよ。いつもは30分間で良い波に2本乗るだけ。今回は序盤でガンガン乗っちゃって、バックアップを出来るだけ早く揃えるようにした。2本目が小さい波でも、その前の良いライドの勢いを乗っけちゃう感じでね。だけど、序盤での畳みかけを狙ってたとしても、次の波が15分間来ないこともあるんだ。状況はいつも変わるから。あのラスト3ヒートは序盤で勝負を決めれたけど、その前の3人ヒートでは、ラスト4秒でひっくり返した。状況次第ってこと。

ファイナル開始直後のフルローテーション・エアーについて教えてくれないー
地元(ハワイ)では、いつもいい具合に西から風が吹いてるから、エアーはいくらでも試せるんだ。あのコンテストの波は、家の前のビーチブレイク、エフカイの波に似てる。だから、エアーに持っていける小ぶりのセクションがあることは知ってたし、それをずっと狙ってた。ああいうエアーだったら、かなりやりやすいんだよ。最初から最後まで視界を確保しながら、着地点もしっかり見える。頭をぐるりと一回転させるようにすれば、体もそれについてくるんだ。バックサイド・エアーやアリウープと同じ動きだね。ぐるっと回って、着地点が見えてくるような動き。でも、あのファイナルではフロントのエアーよりもバックサイドのエアーを狙ってたんだ。バックサイドの方がやりやすいし、フロントで視界がはっきりしないまま飛ぶよりも、着地点がよく見えるんだよ。スタイル的にも、バックサイドのエアーの方が好きだね。

じゃあ、レフトの波の方が好きってこと?
いや、ライトもレフトも両方好き。好みが周期的に変わるんだよ。一週間はレフトばかり行きたくなって、でも次の週になるとライトに行きたくなっちゃう。その繰り返し。

普通ルーキーはツアーに慣れるのに時間がかかるものだけど、君とガブリエル・メディナはそういう精神構造じゃないみたいだね。
僕、ガブリエル、ミギュエル・プポとかコロへは、ずっとデーンやジョーディ、そしてケリーを見てきてるからね。彼らから学ぶことは多い。最近はみんな、かなり若い頃からQSを回り始めるんだけど、ジョーディとかデーン、ケリーを見ながら、学んだ事をQSで試すんだよ。WTに辿りつく頃には、かなりわかってくる。でも昨年、実際にWTに入ってみたら、こりゃ、一から勉強し直さなきゃ、って思った。だって、まるでQSと違うんだもん。全てのヒートが、世界のベストサーファーとのヒートだからね。驚くことばかりだよ。

コンテストに勝ったあの日、表彰台からベッドまでの流れを詳しく教えてくれない?
ホテルの部屋に戻ったら、携帯がメールで一杯だった。家族や友達からのお祝いメールでね。その後、とりあえず母親と兄弟に電話した。でも、もう全てに圧倒されちゃって、本当に疲れ切ってたから、一眠りして、何時間か部屋でダラダラしてたんだ。部屋の下にはプールがあってさ、部屋から出た後は、そこのプールサイドでインタビューをずっとこなしてた。地元のメディアもたくさんいたよ。で、その後は……ここからがおかしかった。僕はみんながすぐにブラジルから離れると思ってたから、僕もそのつもりでいたんだ。でも、インタビューが終わって、またプールに下りてみたら、イェイデン(ニコル)とか、カージー(ジョシュ・カー)やオッキー、みんながビールを持って待ち構えてた。彼らは、えっ、まさか帰るんじゃないよねー って感じで、その瞬間僕は、しまった……って(笑)。 それからは計画変更、ほんとに楽しかったよ。僕らは一緒にシュラスカリアっていうレストランに行ったんだ。大体20人くらいかな。ホブグッズ兄弟、フレディP(フレッド・パタッチア)、シンポ(ブレット・シンプソン)、ガダスカス兄弟なんかも加わって、店の机をつなげてUの字にして、みんな向かい合わせで飲んだんだ。レストランの後は、バーに行ってどんちゃん騒ぎ。本当に楽しかったよ。最高の夜だったね。
写真/ASP・DUMBER and KIRSTIN
翻訳/MIJI”

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