80年代第2弾

80年代第2弾

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好評にお応えして、80年代第2弾、小生意気な顔してますね、この女。やな感じ(笑)。
これは1989年の6月の新島ですかね。
ポッツがワールドタイトルを取った年で、確かこの新島も優勝したんじゃなかったかな。

左にいるオジサンは、故人になりましたが大野薫さん。
私はこの人から、グローバルの中の日本人としてのプライド、的なことを教わったんだろうな、と思います。ファンとスターではない、取材する側とされる側の勝負、的なことですかね。表向きのその人のイメージではない、本当のその人を書く姿勢。ま、今考えてもだいぶぶっ飛んでるオヤジだったと思うけど、言ってることは正論だったし、知的レベルは高くて、都都逸とかこじゃれた趣味も持ってましたね。ただ協調性というか、周囲とうまくやっていこう、という意識のかけらもない人だったかも。ある意味日々命がけ? みたいなところはあったように思う。そういう覚悟をもって自分の考えを立証し、主張する、それがジャーナリストってもんだ、的なことはこの人から学びました。

右の選手はオーストラリアのサイモン・ロウ。私がASPで初めて、カッコイイな、この人、と思った選手ですかね。見た目ですけど。
パイプとかスイッチスタンスで行っちゃったりする、ビッグウエイバー。後年徐々に聴覚を失っていくという、遺伝的な珍しい病を得たものの、元気にやっています。今でもたま~にハワイで会います。超いい人。
マット・アーチボルド、リッチー・コリンズ、グレッグ・アンダーソン、スチュアート・ベッドフォード・ブラウン、ダグ・シルバ、ゲーリー・グリーンあたりだったですかね、ファインのファッションページも飾ったりしてましした。表紙も彼らだったんじゃないかな。その当時はそういうことにあまり縛りもなく、取材も自由でした。

そのファッション企画を担当していたのが、現在ストリート系の雑誌FLJの編集長の大野俊也さん。彼のルーツもファインで、私たち、デビュー仕事が同じで、忘れもしない湘南特集でした。私、主婦やってた頃ですかね。
さて、この年の冬、私は初めてパイプラインマスターズを見にノースショアに行くことになるんだったと思います。記念すべきツアーデビューですか。何もかもが新鮮で、見るもの聞くものひとつひとつに、飛ばされてた頃です。

 ”

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