パールジャムのエディー・ヴェダー、ウクレレCDをリリース

パールジャムのエディー・ヴェダー、ウクレレCDをリリース

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パール・ジャムがはじめてハワイにやってきたのは‘90年代初頭だったろうか。ハワイ州立大学のキャンパス内にあるミニ・コロセアムのような野音で、ロックの歴史を変えたグランジロックとはなんたるものかを強烈に見せつけられた印象がある。あの日、パールジャムのボーカルがステージ上のやぐらから観客のなかに飛び下り、身体を張ったパフォーマンスに我々は度肝を抜かれたのを今でも鮮明に憶えている。
そのパールジャムのフロントマン、エディー・ヴェダーはサーフするミュージシャンとして有名であり、10xワールドチャンピオンのケリー・スレーターらとも親交が深い。エディーのステージにケリーが現れることもあれば、ケリーに連れられてエディーが海に入ることもあり、お互い才能を認め合っている仲である。ハワイでおこなわれるビッグウェーブコンテスト、クイックシルバー・イン・メモリー・オブ・エディー・アイカウのオープニングセレモニーにエディーが呼ばれ、ステージを披露した記憶もまだ真新しい。
2006年にエディーらは、またこの島に戻ってきた。ロック界のスーパーバンド、U2のオープニングを務めるためにである。そこでエディーはハワイのレンジェンド、IZのハワイアンソングをカバーするという想像もできないようなことをやってのけた。ハワイ語でチャントするように熱唱するエディーを観て、観客は総立ちになり涙を流す者さえいた。グランジロックのパールジャムがIZをカバーすること自体ありえないことだが、あれはハワイに住む人たちの心を理解しているエディーならではのパフォーマンスであろう。前座のほうがU2よりもよかったと、あの時のエディーの熱狂的なパフォーマンスは今でもハワイで語り継がれている。
エディ・ヴェダーは幼少からサーフィンを覚え、いつの間にかハワイに惚れ、ついにウクレレCDをリリースするまでになった。米サーフラインが新CDリリースに合わせ彼のインタビューをアップしたので、パールジャムのファン、エディー・ヴェダーのファンに日本語訳をここにお届けしよう。

“ウクレレソングス”に収められている曲は、時代を超越してるようなチューンですね。30年代っぽい。どうやって見つけたんですか?

偶然、曲とコードが載ってるボロボロの古本をみつけたんだ。アルファルファがダーラに歌ったみたいな(The Little Rascals)、ああいうのだよ(笑)。なぜか歌詞に共感を覚えちゃって、コードは載ってたんだけど、どんな風な曲なのかはまったくわからなかった。そこで、コードを再構築し直して、マイバージョンにしてみた。
数ヶ月前、レコードの仕上げに忙しかったころ、一緒に働いてる仲間の一人が色んな人たちが歌う他のバージョンを見つけてきてくれた。ある曲はビリー・ホリデイのバージョンで、タイマツ風のジャズみたいなやつで、俺のバージョンとはまったく異なるものだった。けど、レコードのテーマには不思議とフィットした出来になったよ。

私にはラブソングとララバイのバイブが伝わってきましたけど。

ラブソング、憎悪ソング…。「ウクレレ・憎悪ソング・レコード」ってタイトルで売り出そうかな(笑)。

ウクレレとの熱愛関係はいつはじまったのですか?

あるとき街角に座っていたら、このウクレレがやってきて、いっちょまえのことを言うんだ。それ以来一緒の仲さ。俺に隠れて浮気するわけでもないし。いつも俺がおごらなきゃいけないわけでもない。このウクレレはよーく人の話を聞くんだ。でも必要なときは、いいアイデアをくれるんだよね。こんな理想的な関係ははじめてかもしれないな。
付き合い始めて14年経ったけど、今でも二人のあいだはラブラブさ。俺はじっくり長く付き合うタイプなんだぜ。あっ、それにギターを演奏しても嫉妬しないとこがいい。ギターとの向き合い方も、このウクレレが教えてくれた。メロディーや曲の構成について色んなことを教えてくれる。
みんなウクレレを購入するべきだとおもう。ヒトは自分を表現する方法がいるんだ。練習する時間がないなんて言うのは、うそ。だって、アメリカンアイドルみたいなくだらないものを観る時間はあるんだから。リアリティー番組っつうものは、現代アメリカンライフスタイルのもっとも低俗な悪趣味を代表するようなものだよ。TVを消して、ウクレレを手にするべきだよ。
弾き方はウクレレが教えてくれるって。そんなに難しくないんだ。弾けるように感じるまでに数週間から1ヶ月。そうこうしてるうちに10ポンドの減量にも成功!ってなわけだ。真偽はともかくとして、それっていいキャッチコピーじゃないー どうせ宣伝なんて嘘ばっかなんだから。おれがおっぱじめるかー

1週間でミリオンセラー間違いなしだよ。

でも、インターネットでみんなタダでダウンロードしたら、どうする?(笑)

あなたの創造的プロセスにサーフィンは欠かせないものになっていますね。その一人の時間というのは、曲作りにどういう影響を与えますか?

いい歌が10ヤード沖で待ってるわけじゃないんだよ。もっと深いとこまでいかなくちゃ。いつかは狂った科学者のようにならなくては、いい物にはめぐり合えない。こういうことかな…翌朝、自分の作品なのに、読んだり聴いたりしてもなにも思い出せないってことがある。自分の声、自分の字なのに、それが記憶に残ってないんだ。非日常的な状況に自分を追い込まないと、いい物にはたどりつけないのさ。
サーファーならパドルアウトする直前に聴く曲には気をつけないとな…じゃないと、その曲が頭から離れなくなる。たとえば、エルポルトのパーキングに君はいるとしよう。ウェットスーツを着てると隣のクルマから「フットルース」が流れてくる…絶望的だね。向こう1時間半、頭の中で「フットルース」が何度も何度もリプレイされることになる。だから、俺はラモンズやフガジを聴いてから海にはいるようにしてるのさ(笑)。
自分が手がけている作品を耳にしながら、頭のなかで楽器を弾いてるのを想像するんだ。そして沖で構想をまとめる。ビーチに戻ってくるまでに曲が完成してることだってありうるわけだ。できたら、あまり混んでない日のほうがいいね。波待ちしてる間にけっこうはかどるものだよ。
もう一つ…防水のiPodを装着し、ながーいスタンドアップの一人旅にでることがある。音楽があれば、2時間でも漕いでられるよ。プジェット湾のような波のないとこがいい。水の上をハイキングしてるようなものだね。
つい数年前まで音楽を聴きながらサーフィンなんてしたことがなくて、はじめてその体験をしたとき、ものすごい衝撃を受け、まるで音楽をはじめて聴いたときのような神々しい体験になった。

そのときの曲は?

二―ル・フィンのライブ盤さ。3度目のセッションまでワイプアウトがなかったんだけど、ドラムソロのさなかにコケて、洗濯機のなかをぐるぐる・・・みたいな。たいした波じゃなかったからヘッドフォンが外れなくてさ、ドラムソロに合わせてもまれてた。あぁ、いい思い出さ。
このごろは今取り組んでる作品を持ってスタンドアップに行き、波に乗ったりしてる。突然、音程が微妙に高くなったり、いきなりコーラスのセクションがコーナーで待っててくれたりして調子いいよ。
子供のころからの念願の発明品だね。ウォークマンがでてきたのは俺が14歳ぐらいのころ。ウォークマンをつけてる人をはじめて見たのは、1982年だったかな…マーク・リチャードをはじめて目撃した年でもあった。飛行機を所有してるような人で、手のなかに音楽を聴く装置をもっていた。それがはじめて見かけたときで、ははぁーって恐れおののいたね。それ以来、音楽を海のなかで聴く可能性について考えはじめた。あの当時の物は粗悪品が多かったけど、今ではだいぶよくなってきてる。
音楽を書くとき、コードの骨組みが大切になってくる。このパートがそっちのパートに組み込まれる…みたいに。でも、俺は常にそれをスケートのランプのように考える…トランジッションっていう移行部があるでしょ。曲と音楽のちがいはトランジッションにあると僕は考える。曲は、音楽とはちがう。曲は音楽のように聴こえなくてはならないんだけど、時折、ただの曲のように聴こえてしまうときがある。パートのように聴こえ、その次のパート、またその次みたいに。そこでうまくフローするためには移行部が重要になってくる。まるでカットバックやトップターンのように。どのようにマニューバーをするかがポイントになってくるんだ。歌詞とボーカルのアプローチの仕方がすべてを決めるのさ。音楽というのは波のようなもので、歌詞とメロディーの骨組みのこと。そこでこそ移行部が重要になってくると信じている。それこそ波の上で繰り出される技であり、ワイプアウトせずにメイクすることと同じことだよね。

ニール・ヤング、ブルース・スプリングスティーン、ザ・フーといったレジェンドたちと一緒にステージでプレイしたかとおもったら、MR、ケリー、レアードといったレジェンドたちとサーフィンもする。時には自分の置かれてる環境に、ワーオ! って感動しませんか?

サーフィンしてる最中は波に集中してるのは私も君も周知の事実。それ以外のことはあまり考えてる余裕がない。MRやケリー、それにレアードとサーフィンするとき一つだけちがうのが、波の選択だね。彼らが波を選ぶのを手伝ってくれるんだよ。次の波がきてて、それに行けって言われたら、その波はもう自分の波。どんなにレイトでも突っ込まなきゃいけない。彼らの選択眼は確かだから。
ケリー、レアード、MRのようなお方がその波に俺が乗れるっておもってくれること自体励みになるし、彼らのような伝説の人たちに「行ける」と言われたらほんとうは無理でも彼らの言葉を信じちゃうんだよね。で、結局、乗れたりしちゃう。あれっていいよ(笑)。
ブルースとかニールと演奏してるときって、その瞬間に集中してなきゃならない。「最高でしょー」なんて考えてる余裕はないんだ。感動する時間はあとで十分ある。それより、その演奏を完璧に成し遂げなければならない。ブルースが球を投げたら、それをしっかりキャッチするんだ。そして、彼は予期せぬことをばんばん俺に投げかけてくるんだから。

はじめて乗った波は、どこでした?

はじめて乗った波は、ドヘニービーチ。12歳だったとおもう。サンフアンキャピストラーに住んでる知り合いがいたんだ。12ドルで買ったボードを俺はもっていた。そして、ジャックスサーフショップに行って、足につけるビニールストラップがついたバンジーコードを13ドルで購入した。合計25ドルの投資で、波に乗ることができたんだよ。1週間あそこにいたっけ。
最悪なボードだったんだ。チャニンなんとかっていうので、いま思い出しただけでも腹が立つ。あのボードのせいで出遅れた。波に乗るまえから足を引っ張られたよ。史上最悪のボードだな、あれは。未だにあのトラウマから抜けだせないでいるんだ(笑)。
俺の記憶が正しければ、あのビーチって今ではカリフォルニアで最も汚染されたビーチなんだよね。だから、うーん…最高だね(笑)。実際は、ほんとうにひどい話しだよ。

最後に乗った波は、どこでしたか?

最後に乗ったのはノースショアの波。どこかは言いたくないんだけど(笑)。ハワイ最終日に、飛行に乗る1時間だか2時間前のこと。

この数年ハワイによく通ってますけどが、ハワイとはエディーにとって何なんでしょう?

ジェームズ・メッチェナーの著書“Hawaii”ぐらいの厚さの本だったら、自分の体験だけで書けるね。正直言ってあの島々は…メロドラマ調に説明したくないんだが、今から俺が言おうとしてることはどうしてもメロドラマ調になっちまう…あの場所に僕は救われた。それだけじゃなくて、命を助けられたあとも、俺のことを守ってくれている。
あそこにいるとある力に守られてるように感じるんだ。ローカルのなかに親密な関係を保っている人たちがいるしね。彼らは今でも私がもっとも大切にしてる人たちの一部だよ。
それと同時に、自分のことを理解したのも、人類につい学んだのも、社会について理解を深めたのも、自然について知ったのも、多くはあそこでのことだった。一人孤独に…時には何ヶ月も隔離された場所にいたりした。
ぞういったありがたい体験を自分は経験できたことを感謝している。音楽を書くには、とっても健全ないい場所だよ。社会について学んだって言うのは、社会から遠ざかってみてはじめて社会というものがわかった。客観的にモノが見えるようになるからね。人と遠ざかってみると人の良さがわかり、その反対も然りである。人々に対する信仰の器を満たしてくれるのさ。あそこから得たものは、すべてピュアな世界からきたものだと信じている。みんなが聴く歌詞のなかにそういったアイデアや理想みたいなものが反映されていたとしたら、その言葉は信頼おけるものだと自負している。

パールジャムは結成20周年を迎えようとしていますが、このご時世で20年はたいしたものですね。メンバーにとってパールジャムはなんなんでしょうー

弁当を持って仕事場に集まってくる仲間たちが5人いて、毎日挨拶をかわし、楽器を取り上げ、音作りに励み、そしてそのあとはみんなで意見交換して集中すると、そこから音楽が生まれるんだ。それを発表する曲数が揃うまでやる。それが終わったら、外に遊びにいくのさ。
詰まるところ、弁当箱を仕事場に持ってくるっていうことなんだよね。そんなハードなことじゃない。決してハードではないよ。音楽は大きく解き放れた世界を航行し、成長の可能性を無限大に与えてくれるんだからね。くすぶってさえいなければ、音楽はきみに味方してくれるさ。
我々はいつも前を向いて生きている。それを誇りにおもっていいし、そう感じてるはずだ。でも、それも45秒しか続かない。ほんとうのことさ。

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