今日もオフ。アメリカインダストリー物語の続き

今日もオフ。アメリカインダストリー物語の続き

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10時まで待ったものの、本日もオフ。朝からオンショア、ジャンク。
よって、話は昨日の続き、アメリカインダストリー物語。

ハーレーはそこそこ軌道には乗ったものの、まだまだビラボンと肩を並べるようなブランドには成長していなかった。そこには資本力と歴史に裏付けられた歴然とした信用の差があった。結局ハーレーインターナショナル設立から12年後、2002年にボブはハーレーインターナショナルを巨大企業ナイキに売却する。
当時ナイキはヨコノリスポーツに興味を示していて、ナイキ6.0というヨコノリラインを定着させるべく資金をつぎ込んでいた。しかし今一つ思うようにいかず、ナイキの基本事業であるシューズを使わないスポーツは追わない、という理由でサーフィンから撤退する。それでも何らかのヨコノリカルチャーの糸口が欲しかったのか、まだ発展途上のハーレーに食指を伸ばしたのだ。この売却時にボブ・ハーレーと、古くからのビジネスパートナーのハーレー重役たちの間で、会社を売ったお金の分配のもめごとがあったのは事実のようだ。しかしその時点ではボブが経営権を握っていたので、不満だけど何も言えない、という状況。売却代金のほとんどはボブの手に渡ったらしいし、ボブはナイキ傘下のハーレーでもCEOに就任する。ま、この手はどこにでもありがちな経営ゴシップ。創業当時からの番頭格というのは、切り捨てられるか、下剋上で成り上がるか、その辺にドラマのネタは尽きないわけだ。アップルしかり、フェイスブックしかり、マクドナルドしかりで、創業者と経営者の確執が映画になっちゃうわけだから。
もめごとの真相はどうあれ、ハーレーが今のようにインターナショナルブランドとして大きくなるのはナイキという巨大企業のバックアップがあったからこそだ。

一方、ビラボンUSAは、新体制でブランドを継続したが、当時のビラボンUSAのCEOポール・ナウデは、大企業の援助のない中での業界不景気に見舞われ、会社は売りに出され、その都度株主たちの経営方針変更に翻弄された。ナウデはビラボンUSAを離れたのち、再度会社を買い戻そうとしたけど、ありがちな確執がらみで結局ナウデには売ってもらえなかった。そこでナウデはビラボンUSAを買い戻すために集めた資金で、新ブランド「ヴィースラ」を立ち上げた。これが「ヴィースラ」誕生の真相。
余談ですがポール・ナウデという人は南アフリカの人で、南アフリカのサーフィン専門誌、ZIGZAGマガジンを立ち上げた人。日本でもそうだけど、いろんなブランドがいろんなところで絡まりあってるんですよ、アメリカも。そしてその中でどろどろの人間模様。

2012年、ボブはハーレーのCEOを退任させられるが、ハーレーというブランドの象徴として、アンバサダー的役割に方向を転換する。ま、その時点でもう働かなくても一生困らないわけだけど。
食らった側の話の中ではだいぶ悪人にされてるけど、ボブ本人は私に対しては昔から全く変わらない。現役社長の時も、隠居おじさんになった今も、ロウワーで会えば「今年も来てくれたんだね、毎年本当にありがとう。何か困ったことがあったら何でも言ってくれよな」って声をかけてくれる。こういう人ってあまりいない……つづく。

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